二十二番札所 (Szentantalfa)
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セントアンタルファ村とTagyon(タギョン)村の木々
の間の丘陵にセントバラツ教会遺跡を見ることが
出来る。
教会は13世紀に建てられたローマンカトリック教会
であり、2001~2002年に部分的に修復された。
毎年2月の第一土曜日に野外ミサが開かれる。
時々、遺跡の中でロマンチックな結婚式が営われて
いると聞く。
ここから眺めるパノラマに二人は忘れがたい思い出
を刻むことであろう。

教会全景 東側入口   北門 ロマネスク様式の窓 
二十五番札所 (Revfulop)

バラトンセペスドの教会はローマンカトリックの教会
で13世紀に建立された。 建物はロマネスク様式で
湖岸のすぐ上の丘に建っている小さな教会である。
白い塔は漁師達の行き先をガイドしてきたと伝えら
れている。 入口のアーチは14世紀に再建され、今
も残っている。

 木々の間に佇む教会 北側からの全貌   教会内部  教会の回廊
二十三番札所 (Zanka)

ザンカの教会はプロテスタント教会として13世紀に
建てられた。
オスマントルコの襲撃によって遺跡になっていたが、
1786年にバロック様式で再建された。
今ある建物は1879年に修復されたものである。
教会はシングル礼拝堂、西側に塔、ロマネスク様式
の2つの窓は初期の物を復元した。

教会全景  教会入口 入口内ののアーチ門  教会内部

Révfülöp (リーフフルプ)は、カーリーメデンツェ(バラトンで
最も風光明媚な地域)の南の玄関口であった。
標高274mのフェーレップ山を越えると美しいメデンツェ(盆地)
が開ける。
村のすぐ横の湖岸には1211年から運行されていたフェリー
乗り場がある。
オスマントルコ軍の襲撃により住む人のいなくなったこの地に、
トルコ軍の撤退が始まった1548年頃よりブドウ栽培等で、
住民が戻って来た。
1752年にはフェリーの運航が再開され、1779年には最盛期
を迎えたが教会は廃墟のまま、現在は遺跡となっている。
教会は13世紀に建てられ、駅の横に石門と赤い砂岩の石壁を
残すのみである。

教会全景 西門   教会祭壇側(東)より 教会内部 

<その頃、日本では.....>
 1211年、源頼朝の死去、源頼家が二代将軍に
なるが、頼朝の妻、北条政子の実家である北条氏
の作略によって失脚する。
その後、幼い弟の源実朝が三代将軍につくが、
政子と弟の北条義時の執権政治が始まり、その後
100余年間続く。

二十四番札所 (Balatonszepezd)