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バラトン遍路の旅

一番札所はBerhida(ベルヒダ)にある教会である。
Balatonfőkajár (バラトンフォカヤール)の町を抜け、Csajág(チャヤーグ)を通り、
県道(番号なし)を北上し、Berhidaに向かう。Csajág からは電車もバスも出ている。
この街道は左右の丘陵の間を通って行くため、春は菜の花、夏はひまわりの花で
一面が黄色の絨毯を敷き詰めたようで、典型的なハンガリーの田園風景が楽しめる。 

教会は仏教国で云えばお寺であるから、必ず、どの町、村にも一つか二つは存在するわけであるが、日本でも古刹には
霊験あらたかということより、古来より誓願成就には古くて歴史あるお寺が巡礼者達には好まれていた。
それは仏教徒に限った事ではなく、どの宗教でも、聖地に戻るという大きな行事から、小さいもので「中世の教会」巡りという
ものが最近では流行っているようだ。
教会の建築様式には年代による変遷があり、11世紀頃のロマネスク様式、16世紀頃までのゴシック様式、それ以降の
バロック様式と外観での判断は容易であって、時代と共に教会の力が強くなり、競い合うように煌びやかに、色彩豊かに
施されてきたわけである。 俗に巷で呼ばれている「中世の教会」とは、17世紀までの建立が目安だと思われるが、巡るにも
負担の掛からない適当な数であろうと、手始めにバラトン湖周辺の「中世の教会」を対象に巡礼の旅と銘打って一周してみたい。

バラトン湖は南西に長細い湖であるので、旅のスタートはブダペストから近い東端からが良いであろう。
ブダペストから電車利用ならばCsajag(チャヤーグ)、クルマならばM7の90km出口、国道71号線への分岐インターで降りよう。

 
一番札所 (Berhida)
Map

14世紀初めに、後期ロマネスク様式と初期ゴッシク様式を混在させた形で
建立された。 礼拝堂の屋根は石作りで、祭壇は後期ゴシック様式の
マーチャーシ時代の物であった。
16世紀、オスマントルコの襲撃に備え、壁は60~70cmと厚く強化し、
要塞化教会になった。
1552年の春、ここで教会幹部と政府高官、貴族、町奉行が集まり、3つに分割
されたハンガリーの統一を画策されたが、実は結ばなかった。

トルコ軍の占領により、内壁にあったフレスコ画
は白い漆喰に塗り重ねられ、今はほとんど判別
出来ない。
トルコ軍の撤退後は17世紀初期にはプロテスタ
ントが、1759年にはカトリック教徒に戻った。
今の祭壇はその時の物で、バロック様式である。

往年の東欧の名車
ポチンスキーとのセットは
東欧の情緒をよく醸し出し
ている。

 (注) 3つに分割された領土とは、トルコ、ハフスブルグ、トランシルバニアであり、当時の王は、ハフスブルグのヘルナンド
     とトランシルバニアのサボヤイ・ヤーノシ、それにトルコ軍の3つ巴状態はハンガリーの戦国時代といえる。

     時は同じく、1552年(天文21年)は、父織田信秀から家督を継いだ信長により、日本の戦国時代も、まさに幕を開けた
     ところであった。