十七番札所 (Balatonudvari)
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バラトンウドバールの教会はローマカトリック教会として13世紀に
ロマネスク様式で建立された。 71号線の国道沿いに新しい教会
と道を挟んで立っている。
直線的な形状をした礼拝堂で、漆喰の下に当時の南門(正門)跡
を僅かに見ることが出来る。 現在の教会は1840年にクラシック
様式に再建されたものである。
教会の東側に墓地があり、1808年~1840年代の墓が50個ほど
あり、ハート型の白い石灰石の墓石は、歴史的に貴重な資料である。

<その頃、日本では....>
  1840年(天保11年)、日本はようやく開国に眼覚めた
 時期であった。 渡辺崋山、高野長英が幕府の世界情勢
 に対する認識の甘さを批判し、獄門の露と消えたが、
 もはや世界の流れは誰にも止めることは出来なかった。
 イギリス/清国の「アヘン戦争」、ペリーの来航とアジアは
 激動の時代であった。
 

Kisdörgicse(キシドゥルギッチェ)の教会は、13世紀初期にロマネスク様式で
聖ミハエルを祀った教会であったが、トルコ軍に破壊されたままの教会遺跡で
ある。 南側壁面上部にロマネスク様式の小さな窓が3つ完全な形で残って
おり建築学的に貴重な資料とされている。
教会のすぐ横の道沿いに古い(中世の)石橋がある半円形状でなく天井が
尖っている形状はユニークである。

十八番札所 (Kisdorgicse)
ロマネスク様式の窓  南側壁面内部   祭壇跡  中世の石橋
  祭壇側(直線的な形状)  東側にある墓地