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十六番札所 (Orvenys)
北側 から 南側(湖側)から  現在使われている教会  水車橋と新しい教会 

 Örvénys (ウルヴェニーシ)の村は1093年にティハニー修道院の領地で
エルメネスという村名で呼ばれていた。
教会は13世紀の初めに村の教会としてロマネスク様式で建てられ、
聖イムレを祀った。
1778年に再建されたが、後にバロック様式の新しい教会が別の所に建て
られたので、現在は日常的には使用されていない。
教会の横には、教会より古い1055年から稼働した水車小屋がある。 
今はミュージアムとして、当時の木製の車輪や家具、農耕機、書物などを
一般に公開している。

十五番札所(Aszofo)
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 Aszófő(アソフォー)は初代のハンガリー王イステバンの時代(1093年)
にはティハニー修道院の領地の一部であったという記録が古文書に残っ
ており、村自体はローマ時代から存在しており、クベシド(Kövesd)村と呼ば
れていた。
1260~1270年の間にこの教会は建立されたと云われている。
1552年に、既にベスピレムを占領していたトルコ軍によって、村と一緒に
焼き尽くされた。
教会はシングル礼拝堂(ひと船形式)であり、西側に残ているアーチ型の
石棚はこの時代を象徴するデザインである。 
礼拝堂内にあった1500点ほどの貴重な遺物は、現在、ティハニー修道院
にある博物館に保存展示されている。

<その頃、日本では......>
  1552年(天文21年)は、戦国時代のちょうど幕開けの年であった。 その幕を引いた武将は北条氏康と
 マムシの道三こと斎藤道三ではなかろうか。
 氏康は北条早雲(祖父)→氏綱(父)の後を継ぎ、関東制覇を企み、武田信玄・上杉謙信をけし掛け、
 翌1553年から始まった川中島の戦いの導火線に火をつけた。
 片や、道三は下剋上で美濃を手中に収めるや、娘(濃姫)を織田信長の正室として送り込み、東海地方の
 導火線に火をつけた。

西側壁面のアーチ石棚   教会内部 内部の壁面  祭壇側  教会周囲