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四番札所 (Liter)

Liter (リテール)教会はプロテスタントの教会である。
教会は13世紀に初期ゴシック様式で建立されたが、1582年には廃墟となった。
1784年に再建され、10年後には塔も増築された。
門は1961年に近くで発見され、1969年に今日のように復元された。
両側の柱には一対の人像と、両脇にライオンが鎮座している。 いずれも激しい
ダメージで古さを醸し出している。
1898年に再建築された時に木製天井のパネルは外され無くなった。
現在の建物は1960年頃に再建築された時のものである。

  教会内部   南門  石像    
    ロマネスク様式の窓  手前が新しい教会

<その頃、日本では.....>
  1582年(天正10年)、秀吉は毛利軍高松城を包囲中に本能寺の変を知り、150kmの道のりを

 
信じられない早さでUターン(中国大返し)し、京都山崎にて明智光秀を打ち破った(6月13日))
  これにより秀吉は天下とりを邁進するが、戦国時代はまさに、真っ只中。

五番札所 (Balatonfuzufo)

Balatonfűzfő (バラトンフーズホー)の教会はマアマ教会と呼ばれていた。
現在は遺跡になっており、その隣に新しい教会が建っている。
この村は考古学的に貴重な、ローマ時代までさかのぼる歴史的な古い村である
マアマという呼び名は、先祖がこの地に住み始めた時にすでに存在しており、
990年のギリシャ語の古文書の中に記されている。
イシュテバン1世の時代には、この教会はヴェスピレムの修道院の支配下にあった。
モンゴルの襲来時代の1242年に、この集落も教会もすべて破壊され、その後
1292年にエステルゴムの教主の許可を得て、セントラスローを崇拝する為に
建てられたと古文書に残っている。
しかし、ラコッツェのハンガリー独立戦争(1848年)の時に、すっかり破壊されて
しまい、そのまま現在に至っている。

<その頃、日本では.....>
  
鎌倉時代であり、承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇ら朝廷側を一掃した北条氏による「執権政治時代」の
   安定期であった。 1242年はその乱での立役者であった北条泰時が没し、後継者北条時頼が独裁を強化。